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刀伊の入寇

宮崎正弘さんのブログです
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引用
拉致された国民同胞を「話し合いで解決する」という発想は平和ぼけ
「刀伊の入寇」では拉致された人々を軍事力で奪還した事実がある

浜口和久『日本の命運  歴史に学ぶ40の危機管理』(育鵬社)
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白村江の戦いから地下鉄サリン事件まで、日本が経験した未曾有の危機を40の事例でケーススタディしつつ、日本の真の危機を解析、警鐘を乱打する。
著者の浜口氏は防衛大学出身、陸上自衛隊を経て、危機管理の専門家だが、同時にお城の研究でも第一人者。日本の名城をめぐって解説を写真とともになした著作でも有名だ。
単にマニアックな歴史研究家、お城巡り愛好家とは異なって、氏は城の建設思想、その戦略的発想から、城の構え方を探求している。このため地政学的見地からのアプローチは大変参考になる。
実は評者(宮崎)も、城をめぐるのは好きな方で、日本の名城や、戦績跡地は相当回った積もりでいたが、氏の本を読むとまだまだ足りない。
さて本書である。
書き出しは「白村江の闘い」から始まる。
百済を支援した日本軍はなぜ大敗北を喫したのか。それは、支援に駆けつけた日本軍が烏合の集団だったうえ、敵側の大型船に対して小型船団では対処できなかったからだ。しかし、この敗北は日本の平和ぼけを吹き飛ばし、防衛を強固にするために北九州から日本海沿岸の各地に砦を築き、太宰府を守り抜き、しかも都を遷都するほどの防衛システムを築き挙げたことは、こんにちの教訓である。
しかしせっかくの防人体制も、平和ぼけの平安時代になると廃された。
この隙をついて、外敵は対馬、壱岐、九州各地の沿岸に出没し始め、強奪、拉致を繰り返した。
つまり「防人制度が崩壊したことによって『力の空白』が生まれ、外国の海賊の跋扈を許す結果となった日本は、平安時代最大の対外的危機に直面」したのだ。
それは「刀伊の入寇」と言われる。
詳細はこういう経過を辿った。
「寛仁3(1019)年3月27日、正体不明の約50隻の海賊船が対馬を襲撃、約3000人の海賊は、島民36人を殺害し、346人を連れ去った。続いて壱岐も襲撃を受ける。国司の藤原理忠は147人の平氏を率いて迎え撃つも、数に勝る海賊に追い込まれて死亡、兵士も全員が討ち死にする。壱岐嶋では島民365人が殺害され、拉致された者は1200人を超えた」。
まるで北朝鮮による拉致事件続発を彷彿とさせる。
しかしその後、九州の武士団はリーダーシップの下に団結を強めて防衛を強化し、海賊軍の襲来を撃退し、ついには「海賊に拉致されていた対馬や壱岐の人々の一部を脱出させることに成功している」のである。
「海賊は当初は高麗の海賊」と考えられていたが、その後の調査で『ツングース系の女真族』だったことも分かっている。
いずれにせよ、現代日本への歴史の教訓とは、強盗、襲撃には容赦なく報復し、人質を取り返すには『話し合い』などではなく、即断する決断力と軍事的な実力行使が必要ということではないのか。 
引用以上
   北朝鮮の拉致問題を解決する方法は、やはり武力による物になるのでしょう。金王朝の崩壊を待つ手も有るかもしれませんが、いつになるか分かりません。
暗殺教室♯19を見ながら
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