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在日朝鮮人の証言

なでしこりんさんのブログです
http://nadesikorin0719.blogspot.jp/2016/09/blog-post_78.html?m=1
引用
朝鮮人の証言 
その1
あの時分は、日本行ってから、金もうけて帰った人らの話が、村の誰が日本いって、
なんぼ金もうけて帰ってきた、借金返して、流れた田んぼ買うたとか、牛買うた、
そんな話が、あっちでもこっちでも持ちきりじゃったよ。
はぇ、いなかの村で、はだか足で百姓しとったもんがの、日本行って帰ってくるときはの、
西洋帽子、頭のせて、洋服きて、はぇ、皮靴はいて、村帰ってくるじゃけえ、
日本の国、黄金ナラみたい思うたんじゃ。
おお、日本、開明(文明開化)ナラじゃ、電気明るいし、男も女でも働いたら、働く分、 
金になるんじゃ、なんぼでも金もうけでける国じゃ、そんな話、きくのよ。 (『もうひとつのヒロシマ』 朴 壽南 1983 (「アリランのうた」制作委員会)
その2
川崎の駅のキング通りは終戦直後は、みんな焼け野原で店は一軒しかなかった。 
土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした。 
うちは韓国に帰るつもりだったから、そういうことはしなかった。 
向こうのみんなが日本に帰ってきたから、自分たちも帰るのをやめた。 
今ある川崎駅近くの店は、一軒残っていた呉服屋以外 
みんな戦後勝手に振り分けた土地の所有者が代々継いできた店。(川崎在日コリアン生活文化資料館 在日一世からの聞き書き)
その3
.....「金時鐘と四・三事件」 1948年4月3日から韓国・済州島で始まった反体制派虐殺事件。南北分断の固定化につながる南朝鮮の単独選挙を阻止しようと、民衆が武装蜂起し、軍や警察の鎮圧部隊に数万人が殺された。19歳の金時鐘は、武装隊を率いた南朝鮮労働党の一員だった。襲撃先の郵便局では、同志が目の前でカービン銃で撃たれ、自らも追われる身となった。翌年5月、日本行きの密航船に乗り込み、大阪・生野のコリアンタウンに行き着いた。55年に出した第1詩集『地平線』で焦土と化した故郷を悼んだが、自らの関与には触れていない。 「軍事政権下の韓国に強制送還されれば、事件の残党ということでまず命はなかったやろうから」。 
その4
.....国連軍と韓国軍は 1950年 10月~12月北朝鮮地域を占領した後、多数の民間女性たちを誘拐したと思われる。これに対してキム・グィオック博士は、 「特に左翼の協力者の疑いがある若い女性に対する強姦は、実際及び仮想敵に対する統制及び作戦の一つだった.。 非公式的に 1950年にも軍隊慰安婦や慰安台は存在したことと見えて、むしろ軍医風紀紊乱を憂慮して、1951年以追加の慰安所を公式創設したし、前線軍部隊でも非定期的に軍隊慰安婦を徴発したと思われる.」.....そしてこのように民間人強姦と拉致によって一度、慰安婦生活を経験した女性たちのかなりの多くが、自暴自棄の心情で私娼に流れて行ってから再び 「軍隊慰安婦」という公娼に編入される悪循環を繰り返えしたように思われる。(オーマイニュース、原文は韓国語)
1947年 10月20日 公娼の規模は 2124人
1948年 10月末 私娼は 5万名
1953年 7月27日 朝鮮戦争が終わった後、売春に従事する韓国人女性は 30万人
引用以上
   もはや「強制連行された」と言う在日朝鮮人の言葉を信じる保守系は少ないと思いますが、まだまだ一般の人には伝わりきれていない様です。一人でも多くの人に知って欲しいと思います。
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